夜が歩く、終わりました。
観にきてくれたかた、応援してくれたかた、ありがとうございました。
もっともっと想像力とエネルギー満タンな人になろうと思いました!
さてさて、もう少しだけ
夜が歩くに浸ります。
今回、ピカソを愛する実在した女5人をモデルに、
その女どもが
ポーカーをしている、女の怨念みたいな芝居だったのです。
ラスト前に
自分のピカソとの思いでをレイズしてゆくという、
そんなシーンがありました。
負けたらピカソとの思い出を全部忘れる。
やってやれないことじゃないし、客観的にみてたら
さっさと忘れて、新しい恋を進めたくなります。
女たちもそれはよくわかっているのです。
思い出に縛られた女たち。
でも、思い出をレイズしてくなんてかっこよすぎ。
みんな、ピカソに愛されていた自身と幸せに満ちていて、
でも結局、何叉もかけられているのにね。
たぶん、ピカソってピカソに愛されることによって
自分に自信を持たせてくれる。
そんな人だったのかとおもいます。
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勝手に想像したのですが、別々に(二股もあったみたいだけど)付き合った女性全員がカードをするということは、ピカソもまたカードをする人だったのかもしれない。
5人の中には、彼にカードの手ほどきを受けた女もいたかもしれない。きっと、カードをすることは彼を思い出す行為なのだろう。
彼がカードを切る指先を思い出し、テーブルでの彼の仕草が目に浮かび、コールを宣言する彼の声が耳によみがえる。
手牌を凝視すれば、まるで自分の後ろで今も彼が見守ってくれているような気がする。「そう、そのカードだ。君ならきっと勝てる」と言ってくれている気が。この5人の中で一番強く彼を愛した自分が負けるはずが無い!
・・・いや この声は幻だ。破滅に誘う黄泉(よみ)の悪魔の囁きだ。自分の愛も幻だったのだろうか・・?
。。とか思いながら戦ったのでしょうか
特に私のやったマリーは17歳の時47歳のピカソと出会ったので、カードをもカソに教わった可能性大です!
ピカソの思い出で、ご飯3杯はいけます!みたいなマリーさんでした。